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上野の帰り、友人たちと酒を飲みながら創作の方法論を語った。
そんな気はしていたが、改めて衝撃を受けた。
思うに文字書きのスタイルは「汲み置き型」と「間欠泉型」に分類されるはずなのだが、一人の友人はまぎれもない「汲み置き型」。自分ともう一人の友人は「間欠泉型」だった。
【汲み置き型】
・頭の中が薬箪笥。同時に複数のネタを溜めておける。
・ネタを長時間(月~年単位)練る。
・溜めておいたネタを調合、配合、適宜合体させて作品完成。
彼らの言うネタとはエピソードのことではないかと想像してみる。
つまりこやつ(失礼!)の頭の中には、数多のエピソードが整理保管されているんだな!それを必要になると取り出して華麗に使うんだな!出せー!その中身を出せー!
【間欠泉型】
・頭の中に泉がある。たまにネタが吹きだすので書き留める。
我らのことだ。
自分の場合、ネタとはエピソードをいくつか含めたプロット一個を指す(骨組みにすぎんけどな)。どばっと出てきてどばっと脳から去っていくので、長くなりそうな時は紙に書いておく。
間欠泉型の創作がどんなに辛いか汲み置き型にはわからんだろう・・・。
いつもこれが最後かも知れねえと思いながら書くんだぞ。書くペースが汲み置き型に比べれば早いので、「たくさん書けていいですね」とか言われることもあるが、ネタはあるか無いかしかないんだから常に寡作感にさいなまれているぞ。そしてある日突然、「創作の泉の枯れる音」を聞くんだ(森見登美彦さん頑張ってくれ)。ただでさえ小さな泉であったのに・・・(<このくだりに泣き笑った)
ちなみに先日、前ジャンルで泉の枯れる音を聞いた。
不思議なことに、あれからエピソードは浮かんでも、ストーリーは浮かんでこない。
なんかすげえ嬉しいお言葉を頂いて挙動不審です。
いや、ちょっと待て自分まだ夢を見ているのかも。